【正統派ジュブナイル】アルファルファルファ作戦

筒井は七瀬を拾う。

筒井正孝がいつも帰り道に通る商店街の片隅、薄汚れた八百屋の前に七瀬めぐりが仰向けになって倒れていた。
筒井は困惑した。同じ高校で隣のクラスの七瀬が、いや話したことないけど。何故か地面に散乱している大量の檸檬と一緒になって失神しているからだ。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい〜〜?」
やけに悠長な八百屋の老店主を尻目に、筒井は彼女の肩を揺すった。

「あ、起きた。」体を起こしきょとんとして、どこだここはと言いたげな七瀬に彼は話しかける。
「七瀬さん、五組の七瀬さんだよね?大丈夫?」
七瀬は彼の名前が思い出せなかった。ただ見覚えのある彼の制服をきっかけに、自分がここで倒れるに至ったいきさつを思い出した。「......うん、大丈夫。助けてくれてありがとね。」
と。特に彼らに面識はなく、なんだか気まずい沈黙が続いて、上気した頬を六月の雨で濡らしながら二人は帰ってしまった。

気の早い蝉が鳴き始めた一週間後、教室の机に突っ伏して、眠ったふりで休み時間をやり過ごしている青年が居た。筒井だ。授業のチャイムが鳴ると彼はわざとゆっくりと怠そうに目を擦りながら、教科書の四十八ページを開く。筒井はこうやって学校での生活を送っていた。筒井は心の中で呟く。「またこれか。」
華の無い青春時代ほど退屈なものはない。彼の十七年間の人生で得た真理のひとつだ。中学生の頃一緒につるんでいた友人達は都会の金持ち高校へ進学したり、キラキラした彼女を作ったりして誰も筒井に構ってくれなくなった。筒井もそれほど悲しくなかったが。この三年間は我慢だ。いつか絶対良い大学に行って成功して、今へらへら遊んでいる奴らを笑ってやる。筒井はそんなことを考えていた。

筒井正孝がいつも通り遅刻一分前に教室に入り、下を向いて荷物を整理していると引き出しの中に見慣れないメモを見つけた。その紙には
【この間のお礼を言ってなかったので
放課後に会えませんか
五組で待ってます。 七瀬】
という調子に黒いボールペンの滑らかな字で書かれていた。彼は七瀬の顔を思い出そうとしながら、なんとなく嫌な予感のするのを感じた。始業のチャイムが鳴る。
みんな帰ったあとの二年五組で筒井は七瀬とふたたび邂逅した。彼女は筒井の顔を見つけて少しはにかんだ。笑った顔もなんだか悲しそうなんだよな、この子。なんて考えていると七瀬が口を開いた。
「あの、筒井くん、ちょっと机に座って話さない?」
嫌な予感がまた渦巻いた。何コレ、俺告られるの?彼女は確かに整った顔ではあった。いやそうだけど、第一に俺はこの子についてまだ何も知らない。当の筒井も目立たないだけで顔は悪くない青年なのだが、何にせよこの憂いを帯びた少女が、次に発するであろう一言にただ狼狽するだけだった。
「えっと、この前は本当にありがとう...私疲れてたみたいで。」
「あ、ああその事なら大丈夫。ケガとか、無かった?」
「うん......」
「そっか、良かった良かった。」

「......」

「.........」

「......あのさ筒井くん、」
来た、一体何を言い出すんだこの女。彼の背筋が固くなる。七瀬がおずおずと切り出す。
「入部してくれないかな?文芸部に。」
「は?...文芸部?入部?」
緊張の緩和というのか、筒井はぽかんとして面白い顔になってしまった。
「私、今文芸部の部長やってて、来月の文化祭に向けて色々と準備する事があるの。それでね、文集っていうか、部員が書いた小説を一冊にまとめて文化祭の日に販売するの。だけど今私の部活には三人しか部員居ないし、その内一人は幽霊部員だし......だから筒井くんが部活やってないって聞いて、筒井くん、小説書いてくれないかな?」
先ほどの調子とは変わり少し興奮したように頬を赤くして、七瀬は筒井に懇願した。彼女の顔を見る。うわ、この子本気で言ってる...。一目で分かるように七瀬の表情は真剣だった。もう今まで見てきたうつろな目をしていなかった。
「ね、筒井くん。お願い。」

追撃。

「どうしても?」
「どうしても。」
「て言うか、何で俺?他の文化部に頼んだ方がちゃんとした小説書いてくれるんじゃない?」
「筒井くん......隠してる。」
含みのある笑みを浮かべる七瀬。そして続ける、

「黒井羊くん、隠してるよね。」

その瞬間、彼は全身を雷で打たれたような衝撃を受けた。その名前は、彼の

「黒井羊くん、Twitterのフォロワー四万人だっけ?凄いよね。それより黒井くんの書いてるシリーズもののSFの方が面白いけど...。この前のネット小説大賞でも優良だったもん。ねぇ、黒井くん?」
「なんで知ってるんだ...その名前を...」
「筒井くん、去年の学校で書いた作文、市の特選に選ばれたでしょ。市役所に展示してあったから見たんだけど、あの中にでてくる『丸山くん』って、黒井くんのSFの主人公の名前と一緒だよね?何だか文体も似てたし。ほら、腐っても私文芸部だから、そこら辺分かっちゃうし。で、家で色々調べたらどうやら黒井くんって十七歳みたいだったし。フォロワーとのやりとりで××県に住んでる人って事も分かったし。」

駄目押し。というかとどめ。

筒井正孝は目立たない青年だった。その例に漏れず物心がついた時から彼は活字の虜になり、本の虫になった。何の気なしにインターネットの新人賞に応募したところ、一発目が優秀賞。それ以降彼は電脳世界で『くろいひつじ』というペンネームを名乗り、今まで自分以外の誰にも言わずに賞をかっさらっていったのだが。
「七瀬さんに脅されるとはね。」
「その言い方はおかしいよ、私は筒井くんのその力を貸して欲しいの。第一に、そんな素晴らしい能力があるのにどうして誰にも自慢したりしないの?」
「別に君に関係ないでしょ、僕はそういう浮いたことをやってるって思われたくないの。周りに合わせてるくらいが心地良いし。」
「でも筒井くんって友達居ないよね?」
「...せめて友達少ないよね?にしてほしかったな。そういう七瀬さんは?とてもクラスの人気者には思えないけど。」
「あんな奴らに合わせてる方が馬鹿馬鹿しい。あんなのは昆虫と一緒よ。物事を快か不快かでしか選り分けられない、条件反射で生きてる虫よ。私はあいつらとは違うって思ってるし。」
「七瀬さんって結構可哀想な人だな。」
「筒井くんもすぐクラスメイトの揶揄をインターネットにツイートする癖、辞めたら?」
そこで彼らは顔を合わせ笑いあった。秘密を共有する悪人のような顔だった。
「七瀬さんも、仕返ししたい?」
「何のこと?」
「声が大きいだけの馬鹿共に、何か些細な反撃を致してみませんか?って聞いたの。」
「たかが文集如きにって感じだけど、何だか凄いワクワクする。」

そして彼らは互いの連絡先を交換して帰った。帰り道に筒井はあの八百屋で檸檬を一顆買った。とても良い香りに包まれる六月。

七月になって、彼らの通う高校は文化祭の準備期間に入った。通常の授業が無くなって、歓喜する生徒。クラスの出し物の買い出しに勤しむ生徒。そして相変わらず図書室に篭って何やら分厚い本を読み耽っている黒い髪の少女、七瀬もその学校にいた。

七瀬の他に図書室には数人の生徒が居た。ある者は本を読み、ある者は参考書を開いていた。七瀬はこの空間が学校で一番好きだ。静かで、程よく空調が効いている。そしてお互いがお互いのお気に入りの席を把握していてそこを譲りあって彼らには無言の結束力が生まれていた。彼女は安らかな気分で本のページをめk「あ"〜!!準備ダルぅ!!」
静寂が切り裂かれた。七瀬が明確な敵意をもって睨みつけた先には、図書室のドアを荒々しく開け、我が物顔で部屋に入ってくる汚いニキビ面の面々。彼らは侵略者さながらの横柄な態度で通路側の座席を陣取り、大声で世間話を始めた。そこには時折七瀬らを含む人間を小馬鹿にしたような態度も含まれていた。
図書室より逃げ出す他は無い。七瀬は怒りに打ち震えていた。何故、他の人の気持ちを考えることができないのだろう。彼女は十六年間の人生で悟っていた。強い者の決めた事がルールになり、そこに弱い者の意思が入り込む余地は無いという事を。行くあてもなく七瀬は校内を彷徨う。元々彼女の居場所と言えるものは図書室だけだった。自分の教室ではきっとお化け屋敷の準備をしている。彼女はこういう時に自分の性格を恨んだりした。

筒井がいつものように終礼のチャイムと同時に教室から出ようとすると、廊下にいつもより一段と険しい顔をした七瀬がこちらを見ているのに気付いてしまった。
「七瀬さ、その顔怖いって。」
「いつから呼び捨てに...なんで昨日の部活、来なかったのよ。」
自販機でコーラを買いながら筒井が答える。
「俺文芸部に入るなんて一言も約束してないからね。原稿書けって脅されただけ。」
「......で?その原稿のめどはついてるの?」
「この前ちょうど書こうと思ってたネタがあるから余裕。そうだな、文集二百冊刷っといてよ。」

冷えたコーラの蓋が開く小気味いい音。

「私もコーラ買う。......二百冊って...毎年五十部も売れてないのよ。」
彼らが話し込んでいると、筒井と同じクラスの生徒たちが自販機に群がってきた。
「俺ファンタな。あれ、筒井くんじゃんうぇ〜〜い。隣の子、彼女?」
「いやそういうのじゃ」
「おいおいやめてあげろって。筒井くんそういう王道なこと出来るキャラじゃねえよ。」
筒井の返しを遮った男子生徒が何やらもう一人に目配せをしながらニヤニヤと笑って去っていった。
「筒井くん、人気者なんだね。」
皮肉のつもりで言った七瀬だったが、筒井の方を向いて驚く。彼は相変わらずの表情だったが、コーラを持つ手が怒りでわなないていた。アルミ缶が僅かに凹む。
「そういう訳でさ、王道キャラじゃないっぽいから、俺。自分は自分らしく邪道に汚く勝たせて貰うよ。」
影を含んだ笑顔を七瀬に投げかけて、筒井は彼女を置いてさっさと帰ってしまった。

翌日、七瀬の机の引き出しに厚い封筒が入れられていた。差出人の欄には『黒井 羊』とある。筒井くん、もう書けたんだ。はやる気持ちを抑え彼女は放課後それを持って部室へ急いだ。
一時間後に七瀬がその小説を読み終えた時、彼女は大きなため息をついていた。それは彼女と筒井の圧倒的な文才の差に絶望したことと、彼自身の持つ類い稀な能力に感動した事によるものだった。七瀬は丸一時間その小説の世界へどっぷりと浸かっていた。ふと現実に引き戻される隙すら与えられなかった。それほどまでに彼の書いた作品は人の好奇心に訴えかけるものがあったのだ。筒井の十八番とするSFモノで、見事な伏線回収がラストのどんでん返しに見事に繋がっていた。七瀬は部室で一人興奮した。やっぱり、筒井くんに頼んだのは正解だった。これなら例年の二倍、いや三倍は売れるはず。

ここで七瀬はある致命的な問題に気付く。

「元から知名度が皆無な文集を、誰が買おうと思うの?」

とうとう文化祭当日がやってきた。まだ涼しさが残る朝方、渡り廊下では既に上級生による屋台が立ち並び、教室ではクラスの出し物の最終準備が行われている。
眠い、帰りたい! 筒井がうだっている隣で、七瀬は憂鬱な気分だった。
「ねえ筒井くん...なんで四百冊も刷っちゃったの......印刷代だけで部費二年分なんだけど。」
「大丈夫だって全部売れる。誰が書いたか分かってる?あの人気作家黒井羊様だぞ。」
「.........」
呆れてそれ以上言えず、彼女は販売の準備に取り掛かった。昨夜からずっと考えていたのだ。文集という性質上、商品にリピーターはつかない。そもそも「ブンゲイブ」の存在を知っていてなおかつ、今日その部活が「ブンシュウ」なるものを販売し、その中に「クロイヒツジ」の作品が収録されていることを一体自分以外の誰が知っているというのか。考えれば考えるほど沼にはまってしまう。よし、被害額はあの男にも払わせてやろう、仮にも作家ならお金は持ってるはず...。二人が座っている机の真横にうず高く積み上げられた文集の山を、七瀬は某前と眺めていた。
「文集二冊くださーい。」
はい?唐突に話しかけられて素で返事をしてしまった七瀬の前に、学校の生徒が二人立っていた。
「あ、合わせて四百円です。ありがとうございました。」

「悪くないスタートじゃん?」
なんだか嬉しそうな筒井が笑いかけてきた。

午前十時。文化祭の幕開けから一時間が経過した。その間に、彼らの文集は二十冊売れた。去年全体で捌けたのが僅か五十冊だったのを考えると、筒井の言う通り悪くないスタートだ。すでに別の学校の生徒や教職員もちらほらと顔を見せ、文芸部員達も今年は期待できそうだと息巻いていた。
「七瀬、休憩してきていいよ。あとコーラ買ってきて、二人分のお金あげるからさ。」
ごく自然に筒井にパシられ、七瀬は一回の自販機まで降りる羽目になった。
学校はいつもより俄然活気に満ち溢れていた。開いた窓から匂ってくる焼きそばのソースの匂い、体育館からはバンドの演奏する音、あとすごい雑踏。そこいる生徒たちはみんながみんな楽しそうな顔をしていた。そういう時七瀬は急にその集団との距離を感じるのだ。文化祭って言うくらいだから文化部が先頭に立って盛り上げるもの。だけど私たちの活動がどれだけ知られているの?売れ残った文集の束は裏の焼却炉で全部燃やされる。周りからは読書オタクだ、暗いな奴だと笑い者にされる。彼女は底抜けに明るいポップが流れる廊下を、陰惨な気分で歩いた。

七瀬が二人分のコーラを手に部室に戻ると、教室の前に長蛇の列が出来ていた。一体何事かと彼女が駆け寄ると、そこには慣れない感じで文集を売り捌いている筒井と部員たちが居た。
「筒井くん、これ何!?」
「さっき文集買ってった誰かが俺の小説読んだらしくて!それで周りの奴らにめちゃくちゃ推し倒したらしくて!で今この状態!!」
話している暇は無かった。大急ぎで彼女も販売に加わる。中には筒井や七瀬のクラスメイトも居た。筒井らは必死だった。何故ならこのヤバい小説書いた人誰?という質問を誤魔化さなければいけなかったからだ。午後十一時。

「「乾杯」」
二人はアルミ缶のコーラで乾杯する。結局その「黒井」ブームは一過性のものだった。午後一時になって、大方の屋台が店を畳み始め、七瀬率いる文芸部もそろそろ販売を終了しようかという頃だった。
「こんなに部活で忙しかったの初めてだよ。文集も多分百五十は捌けたし。絶対過去最高記録だよ。」
「俺も学校でここまで売れるなんて思わなかった。あんな奴ら...人らでもいい文章って分かるのな。」
「自画自賛か...。でも、全部筒井くんのおかげだね。私たちに協力してくれて本当にありがとう。」
「最初は殆ど脅された形だったんだけどな。俺、さっき七瀬が寄稿した小説も読んだよ。凄い繊細に心情が描かれてた。俺はああは書けないな。」

「あの......」
はい?また素で返事をしてしまった七瀬が筒井から正面に視線を変えると、そこには見たことのある少女が居た。七瀬はその顔をよく知っていた。七瀬はぱっと明るい表情になった。
「もう閉店ですか?」
「いらっしゃいませ。いいえ、まだ大丈夫ですよ。」

その少女はいつも図書室に居る生徒の一人だった。彼女とその場でも何か特別な会話は無かったが、七瀬には何となく彼女が自分に会いにきてくれた様な気がした。そして一層無言の絆が深まったのを感じた。

「今日はいい日だった。さっきも言ったけど筒井くん本当助かったよ。君のおかげで無事文化祭を終われることが...」
「何言ってんの?ここからが本番だよ?」
「え......どういうこと?」
「『黒井羊』の最新作と七瀬めぐりの純文学セット、プレ値で売り尽くすぞ。」

筒井正孝、もとい黒井羊は策士だった。そして邪道であった。彼は前もってインターネット上に部数限定で彼の最新作を発売すると告知していたのだ。殺到した応募ハガキは約千通。七瀬ら文芸部は売れ残った文集を全て発送する羽目になった。それはそれは高値で売れたが。

「フォロワーが四万人も居て初めて良かったと思ったよ。それに宣言通り、邪道なやり口で勝たせて貰ったしね。」
その日から七瀬率いる文芸部の功績も手伝って彼女は一目置かれる存在になった。筒井はYahoo!ニュースの端っこに少しだけ今回の件が載って嬉しそうだった。

文化祭が終わり、夏休みに入ってしばらくしたある日が七瀬めぐりの誕生日だった。彼女は友達と呼べる存在が乏しかったので祝いのメッセージは殆ど貰えなかったが、彼女宛てに一通の箱が届いた。箱を開けると一通の手紙とまた一回り小さな箱が入っていた。

「七瀬さん、お誕生日おめでとう。この前は本当楽しかった。売り上げ金で誕生日プレゼントを買ったので喜んでください。」
手紙には筒井正孝の署名があった。そしてもう一つの箱には
アルファルファルファ作戦、成功」
という文字が。それは彼が文集に書いた小説のタイトルだった。



七瀬は、箱を開けた。