同じ檸檬を踏む

気した頬が雨粒にぶつかって冷えた。スカートの裾にまとわりつく何か不吉な塊を感じながらわたしはバス停にいた。

 最近妙に退屈で同じことの繰り返しとしか思えないような生活と、周りの人が馬鹿で腑抜けた集団に見える錯覚は、実は因果で結ばれているのではないか...

きっとこんな下らないことでぐるぐる悩み続けるのではないか...

 

夕景を背にやってきたバスの中で、わたしは田舎に生まれた自分のことと、都会で生まれたかった自分のことを考えた。それに飽きて梶井基次郎の本を読んだ。わたしは太宰治の本が一番好きだ。だけど『人間失格』だけ読んで、文学とか女の事とかを知ったような気をおこした人たちと同じ目で見られたくなかった。とにかく、太宰を読むのは家でだけだ。

 

家族と夕食を食べる部屋には、いつも民放のバラエティ番組がついている。わたしはこの時間が好きではなかった。家族の中で自分だけが楽しめていないような感覚が、いや、確信があった。またこんな低俗なテレビに笑ってしまうような家族を、ともすれば見下して、優越感を覚えてしまいそうな自分が嫌だったからだ。   

  そんな感覚のずれが次第に開いて、気づけばわたしの考えるための体は、不吉な塊によって縛られていた。

 

「女子高生って みんな同じことで憂いてるのかもなぁ」

 

と呟いてみた。言葉にしてから、死について考えた。女子高生ほど死ぬことについて容易い人種もそうはいないなと思ったが、わたしは怖くてできなかった。

 

 一日は「またこれか。」で始まる。玄関の扉を開ける音、排気ガスの匂い、いつも遅れてくるバス、またこれか...

  暗い感じになるわけでもなく、ただ一瞬だけ何もかもに冷めてしまうこの感情が苦痛だった。だから気分転換に底抜けに明るい歌を聴いたり、陰惨な内容の漫画を読んだりするのだ。

 終業のチャイム、またこれか。

 

 

気した頬が雨粒にぶつかって、ふやけた。わたしは周りの人がしきりに確かめたがる[正しさ]について考えていた。例えば今わたしが乗っているバスに、老人が乗り込んできたとして、座席が一つも空いていなかったとして、その時老人と目が合ったとして、わたしが行うべき正しさとは何だろうか。

 [正しさ]も[良い]も[正義]も、わたしたちと同じ人間が作ったもので、それが絶対的な倫理になりえるのか。いや、倫理とか絶対という定義づけもきっと後から偉い人が勝手に決めたもので...

 近頃はずっとこんなことを考えていた。とにかく、何もかもに意味や理由を求めたりしたがった。縛られた体がどんどん重くなっていく。バス停に着いた。バスは、さっさとわたしの元から離れていった。

 

最近は帰りに回り道をしてある商店街を歩くのが好きだった。それは何十年か前に栄えていたであろう痕跡をわずかに残して殆どシャッターが降ろされているような通りだったが、不思議なことにいつも陽気な曲が流されていた。だからなんとなくいつも寂しい感じはしなかった。わたしはその通りの能天気な曲を聴き流しながらぼんやり歩くのが好きだった。誰もいない喫茶店とか、路地裏にいるネコたちを見るのも楽しかった。

 その日も例のように陽気な商店街を陰気な気持ちで歩いていた。その通りの端には、これまたひなびた八百屋があって、わたしはそこで何かを買ったことはないけれどきっとこの街が生まれた頃からあるだろう面がまえだった。

 わたしはちらりと八百屋の軒先を見た。「檸檬だ。」f:id:nayuttttttt:20160629223401p:image大きい檸檬が並べられていた。レモン、漢字で書けるっけ。と不意に考えていると、路地裏から急に二匹のネコが飛び出してきた。そして勢いのまま八百屋の棚に激突した。檸檬たちが宙を舞う。わたしはその中の一顆を革靴で思いきり踏んづけてしまった。

 

その時のことははっきりと思い出せない。ただ、果肉から溢れ出した、あの、あの香りがわたしの鼻腔をくすぐった瞬間に、強烈な一撃を脳天に喰らったような気がした。ほとばしる酸味がわたしを覆っていた不吉な塊を嘘みたいに簡単に溶かしていった。そしてそのまま黄色の爆弾は盛大な音を立てて一斉に爆発した。

 意識を失う前、わたしは多幸感でとても素直に笑顔になれた。こんなことで幸せになれるなんて、思ってなかったな。

 つまりは、答えなんてちっぽけなものだったんだ。

 

それから少しだけ、わたしは気絶した。