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マンボウのいる水槽

ポエム
族館には黒くて巨大な魚がいた。みすぼらしい腹鰭と窪んだ眼窩を絶え間なく動かしながら、彼は円筒状になったアクリルの水槽をぐるぐる泳いでいた。夏も冬も、閉館の時刻が過ぎても彼の目的はただ、アクリルのカーブに沿って水中を時計回りに泳ぎ続けることにあった。
無感動で右回りを続ける彼は、向かい側のイルカ達のように人間に愛嬌を振りまくことは一度もしなかったし、時々餌をやりに降りてくる飼育員の顔も覚えることはなかったのだ。

歪な魚体は今日も水槽の中身をゆっくりと搔き回す。時間の流れは彼には関係なく、水流のうねりと時折ばら撒かれる冷凍された小魚だけがアクリルの内側で移り変わった。時計回りの水槽にもはや展示物としての意味はなく、それでも彼はやはり泳いだのだ。
一匹の孤独な狭くて冷たい太平洋の中で、生き別れた三億の同胞達の尾鰭をまだ水槽の中に見つけ出そうとしているのだ。
幼い頃に母親の腹から人間によって奪われた記憶を彼はもう忘れたのだ。
彼は死ねない。ここには天敵も寄生虫もいない。また幸運にも狂うような退屈と空虚を感じ取る知能は彼にはない。
つまり思考の止まった彼の鰭は止まらないのだ。



明るくて清潔な
水族館の一番奥で
彼は待っている。