私という人間が何者なのかがわからない。どういった性格でどんなことをしたいのかがずっとわからない。ただ、何も考えていないわけではないから、ちゃんと怒ったりもできるが、どうして今私は怒ったのかというのはわからないだろう。両親の遺伝を受け継いでいるならばある程度は摑みどころもあるだろうが、母親は極端な感情論を持ち、父親はというとロジカルシンキングの権化のような人間なので全く読み取れない。どちらかといえば私は感情的な人間だと思う、しかし何かを決断する時に急に冷徹な理論家の私が現れるのだ。かといって私を多重人格者と呼ぶ人間もいるがそれは誤りだろう、いわゆる人格が乖離する瞬間を私はきちんと認識できているのだからそれは誤りだろう。
 誰かに何か目標を問われる時がある、その時ほど苦痛になる瞬間はないだろう。振り返って探しても私の内面に目標は一つもないのだ。それなのに悔しい感情はきちんとある。では私は何に期待しているのだろうか、それがわからない。もう1人の自分に期待しているなら大変なことだ。その異なる自分はまた別の自分に期待を委ねているに違いない。そうなると10人いた自分は永遠に誰かの足を引っ張り続け、自分の中で内面的に成長する機会は永遠に生まれないのだから、それは困る。
 趣味嗜好はある。将来の仕事も決めている。だがそんな表面上の建前は内面がしっかりと定まったアイデンティティに拠るものではないだろうか。この何も考えていない自分が怖い、他人に空っぽであることが見透かされ軽蔑されることが怖い、鏡の前の自分の目を直視できない